さて、むりやりな展開で、吹田の渡しにもどった水戸老公一行は、
お吹(おふき)に別れを告げて、亀岡街道を北に向けて出発します。
わはは。
で、ここで、南高浜町に残る道標ですね。
亀岡街道を北に向かっていく人には、左が吹田街道で中山・岡町へ向かって、右側が京・(摂津)富田・高槻方面に向かう亀岡街道。
まっすぐ行けば、すぐに大阪につくと言っているそうです。
「すぐ大坂」って…かなりざっくり。
どんだけ歩いたらいいのかさっぱりわからないけど、昔は通用したんですねぇ。
で、さらにまっすぐ大阪にむかって歩いて、すぐのところに六地蔵道標があります。
さっきの道標で右に曲がってたらわかりませんな。
消えかかっていて読みにくいのが残念 江戸時代に彫られた面。googleで吹田城となっている場所にあったのかなぁ こちらも江戸時代。寺社がランドマークだったわけですね。 明治期に彫られた面は、地名になってます こちらも明治期。明治時代も「坂」の字だ
こちら、江戸時代の道標に明治時代に新しく案内が彫られ、再利用されたと案内板にあります。
高浜橋が架けられ、渡しが必要無くなった時点ということですね。ふぅむ。
それにしても…道に対して道標ななめってて、よくわからないわ。
道標って、どこから見て右か左かという事だからねぇ。
ん?だからななめでいいのか?
ま、移設されたようなことが書かれているので深く考えることはやめておこう。
そういえば、水戸老公一行、だれがナビゲートしていたんでしょうかねぇ?
助さん?格さん?まさかご隠居!?
そういえば、一番先頭を歩いている!
いやいや〜。先の副将軍だしさぁ。下調べとか申し訳ないわ〜。
と考えると、やはりうっかり八兵衛なのか!?
八兵衛は、相当なご当地グルメ情報通。
おっちょこちょいな役回りだが、大衆の気持ちを代弁する存在。
しかも、30年にわたり交代していない!!!
替えの効かない存在。おそるべし。八兵衛!
妄想「水戸黄門」~吹田街道 あらため 亀岡街道 ~ は、つづく