ん〜?雉子(きじ)は、鳥のキジとしても、畷(なわて)って、なんなん?
田んぼ偏(へん)につくりに又(また)四つ、畷(なわて)。
解字では、「田(耕作地)+叕(つながる)」 で、耕作地をつないではしるあぜみちを表すらしい。
つまり、そのへんでキジを見かけたという田んぼのあぜ道、場所の事でしょうか。思ったより普通の意味。
さて、「雉子畷(きじなわて)」は、「雉子も鳴かずば撃たれまい(きじもなかずばうたれまい)」ということわざが「口は災いのもと」の意味になった元のお話しです。
テレビ番組「まんが日本昔ばなし」の「キジも鳴かずば」で知られるようになったお話し、信濃(長野県)に伝わるものと内容的にはおおむね同じ感じの悲劇です。流れ的にはね。
正直言って、関西弁で語られるところがまったく想像出来ない深刻なお話し。
しかしなんと、吹田の「きじなわて」は、推古天皇(すいこてんのう:593-628年)の時代のお話しらしい。
でた〜。すいこてんのう〜。聖徳太子のおばさん。飛鳥時代(あすかじだい)だわ〜。
飛鳥時代、私の記憶だと時代年表の左から三番目だよ〜。古いわ〜。多分まだちょんまげとかしてないよね。
さて、吹田のお話では、人柱になったのは垂水(たるみ:阪急豊津駅近く)の巌氏(いわじ)という長者(ちょうじゃ)で、長柄川(ながらがわ)の架橋が難工事だったため、相談を受け、「袴(はかま)に継ぎのある人を人柱にする」事を提案したんだけど、袴に継ぎがあったのは自分で、自分が人柱になったということ。
わ〜。
とにかく、その後、巌氏の娘が口をきかなくなって、嫁ぎ先から口がきけない嫁はいらないという事になり、
旦那に連れられて実家に行く途中に、この場所でキジが鳴きながら跳んだところを、旦那が弓で射殺。その弓で射殺されたキジを見て、
「ものいわじ父は長柄の人柱 鳴かずば雉も射られざらまし」と詠んだそうな。
ん〜〜。旦那、弓矢を携帯してたんか!? すごいなぁ。
そして、その旦那は「なんや、しゃべれるやん。そうかぁ。つらかったんやなぁ。気の毒に。ほないっしょかえろか。」
と、そんなふうだったかどうかは想像だが…ちょっと切なすぎる民話のほっこりする部分です。
現在は、閑静な住宅街の中に「雉子鳴き道」沿いにひっそりと「 雉子畷碑」がたてられています。
阪急豊津駅から徒歩圏内です。垂水神社のすぐ近く。近くに来たら探してみてね。